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東京地方裁判所 昭和36年(刑わ)1336号 判決

主文

被告人斎藤一雄を懲役五月に、被告人千葉紘靖を懲役四月に、被告人藤井マサ子、同鶴見常司、同竹内基浩、同西田理、同渡辺一志および同鎌田輝夫を各懲役三月に処する。

被告人ら八名に対し、いずれも本裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用≪省略≫

理由

(新島ミサイル試射場設置をめぐる紛争の経緯)

昭和三二年一〇月初め防衛庁において新島をミサイル試射場設置の候補地に挙げているとの新聞報道がなされるや、いちはやく東京都教職員組合新島分会および東京都地方労働組合評議会(以下単に地評という)において同試射場設置反対の各声明をなし、昭和三三年一月新島村内の試射場設置に反対する者の間に試射場設置反対同盟準備会が結成され、同月下旬村議会および村長から相次いで試射場受入拒否の態度が表明された。しかし、その後同村民の間では、試射場の試置はこれに伴う港の整備道路工事などにより村の産業発展に役立つからこれを誘致すべきであるとする賛成派と、右設置は太平洋戦争におけるように新島全島を基地化しために島の農漁村民の生活が脅かされるとする反対派とに二分し、賛成派は新島産業振興研究会を、反対派は新島ミサイル基地反対同盟(以下単に反対同盟という)をそれぞれ結成しその対立が激しくなつた。中央においては、同年二月地評、総評、社会党原水協、共産党東京都委員会などが新島ミサイル試射場設置は平和と民主主義憲法に反し、政府独占資本がアメリカ極東戦略に即応する自衛隊核ミサイル武装計画の一環として同島を基地化しようとするものであるからこれに対し平和と民主主義を守るため闘争態勢を組むべきであるとし、新島ミサイル基地反対支援団体協議会(昭和三五年九月新島ミサイル基地反対対策委員会に改編される)を結成し、右反対同盟を支援するに決した。かかる状況下で、昭和三四年一月村議会はさきの試射場設置受入反対声明を撤回し、次いで同年一〇月防衛庁において村長に対し新島黒根港の突提工事式根島小浜港の整備工事に協力する等の条件のもとに試射場設置の正式申込がなされるや、反対派の試射場設置の受入は住民投票によつて決すべきであるとする請願運動のため数度の流会を重ねたが、翌昭和三五年三月試射場の受入を議決した。そして、防衛庁は現地調査を経て同年六月自衛隊により本村若郷間の都道拡張工事、若郷渡浮式根島小浜港の改修工事、端端地区への道路工事に着工した。この間反対派は、自衛隊の上陸の阻止を図り、端端地区への道路は私有地に跨るとして同所に坐り込みを続けて工事を阻止し、工事関係者の通行を妨害し資材の運搬を困難ならしめた。しかるところ、昭和三六年一月二〇日頃右翼団体である大日本愛国党員、大日本独立青年党員、防共挺身隊員が多数来島し、前記賛成派および賛成派青年層によつて結成された新島愛郷青年連盟を支持すると称し、ヘルメツトを着装し木刀を携え島内を徘徊し、同月二一日以降前記反対対策委員会から一週間交替で派遣されて渡島する毎回一〇〇名前後のオルグ団に対しその上陸を阻止し、或いはその集会に殴り込み、宿舎を襲撃し、ビラ張りを妨害し、多数のオルグ団員らに対し屡々暴行傷害沙汰に出た。このような事態は、中央においても深く憂慮され、同年二月二〇日政府自民党社会党の三者会談が催され事態の収拾が協議されることとなり、いわゆる政治休戦がもたらされ、島内は一時平静に復するかに見えた。しかし、同年三月九日右協議は決裂し、同月一二日の村議会において。試射場への道路工事実施に対する議案が上程されるや、賛成派および右翼と反対派およびこれを支援するオルグ団との対立は再び激化したが、警視庁機動隊の警備により翌一三日右議案は可決された。そして、同月一六日地評常任幹事である被告人斎藤一雄を団長とする前記反対対策委員会より派遣された第五次オルグ団(再開第一次)約一二〇名が渡島したのであるが、その頃における在島オルグ団の数は、全国学生自治会連絡会議(以下全自連という)派遣の学生約四〇名を含めて約一八〇名に達し、右翼の数は大日本独立青年党、防共挺身隊員合せて三〇名前後、また警備の警視庁機動隊員の数は約二七〇名に及んでいた。

(被告人らの経歴)

被告人斎藤は、昭和二五年三月東京都世田ケ谷区役所に就職し、同年末頃同都主税局世田ケ谷税務事務所に転じ、昭和二七年東京都職員労働組合本部役員に選出され、昭和三三年年頃より地評常任幹事に就任、前記のように昭和三六年三月一六日第五次オルグ団長として新島に渡つたもの、被告人藤井は、新島に生れ育つた一家の主婦で、昭和三五年前記試射場設置反対派の婦人層によつて結成されたいわゆるオンバアラ会副会長をしていたもの、被告人千葉は、昭和三五年七月社会党東京都本部より派遣されて右試射場設置状況の調査団の一員として新島に渡り、その後常駐オルグとして駐在していたもの、被告人鶴見は、被告人千葉と同じ頃から常駐オルグとして新島に渡り駐在していたもの、被告人西田は、原水協事務局員で昭和三六年三月一〇日右試射場設置状況の調査のため派遣されて新島に渡つていたもの、被告人竹内、同渡辺、同鎌田は、新島にいわゆるオルグとして各駐在していたものである。

(本件の発端およびその背景)

一、新島本村内青年層によつて組織されていた挙友会々長沖山清唯、同会員梅田恒男および全自連学生田中隆光は、昭和三六年三月一七日午後一一時四〇分頃同村四番地山中勇次方前路上を通行中、防共挺身隊(以下防挺という)隊長福田進および同隊員の大山節夫、高橋某、秦某と擦れ違つた際、同人らから肩が触れたとして天秤棒で殴りかかられ右田中が受傷したが、右正山および高橋は、その場で秦の姿が見えなくなつたのを相手にさらわれたと考え、直ちに、同番地登仙吉方同隊員宿舎に引き返し、同宿舎にいた防挺隊員の鄭福亭、伊藤某、松川某、正渡某とともに棍棒などを携えて全自連本部である同村二番地横田源左エ門方に殴り込み、学生丸山茂樹らに棍棒などで殴りかかり、右丸山に対しその頭部等に傷害を負わせて右登仙吉方に引きあげた。

二、たまたま、同夜同村二番地梅田仁方において、島内反対派、在島各組合オルグ団によつて新島基地反対現地闘争会議が開催され、新たに地元および派遣オルグ団から常任闘争委員が選出され、その初顔合せが行われ、それが終つて十数名の者が雑談中、前記右翼の全自連本部ヘの殴込みが急報された、そこで、同所に居合せた社会党代議士大柴滋夫、被告人斎藤、同千葉、同藤井、同竹内、同西田ら全員は相次いで右全自連本部横田源左エ門方前道路へ駈けつけた。そして、折から村役場周辺の警備中急を聞き同所へ駈けつけた警視庁第三機動隊第一中隊第一小隊長渡辺襄以下一八名、他より急行した数名の私服警察官に対し、右大柴、被告人斎藤らは同夜における右暴行傷害の犯人である防挺隊員の即時逮捕を要求した。かくするうち、その周囲には多数の者が来集し、その群集の数も次第に増して七八〇名に達したが、その多くはヘルメツトを着装し或いは棍棒などを携えていた。事態の重大さから群集と右翼との衝突を虞れた右渡辺小隊長は、大柴滋夫らに群集を指示するよう求めたが、同人らはこれを聞き入れず、群集の中からは「警察は当てにならぬ」「俺達がやろう」「仕返しにいこう」などという声が上り、殆んど全部の右群集はいずれも防挺隊員宿舎に押しかける考えで、同所から次第に動き出し、警察官の制止をきかず同村四番地前田吉三郎方に向つて押しかけて行き、その後参加した者をも加え、右前田方門前および同所附近路上に一〇〇名前後の群集が集つた。右渡辺小隊長は右前田吉三郎方門前において、再度右大柴滋夫および被告人斎藤に対し、防挺隊員は後刻捜査のうえ必ず逮捕するから群集を解散せよと申し入れたが、被告人斎藤らは、その即時逮捕を要求し、且つ全員を逮捕するのを見屈けるまでは解散しないと主張してこれに応じなかつた。そのうち、右前田方に防挺隊員が見当らないことを知つた群集の一部から「あつちだ、あつちだ」「やつちやえ」などという声が上り、殆んど全部の右群集は、いずれも右群集の規制にあたつていた警察官が群集の右翼宿舎に押しかけるのを制止しているのを知りながらこれに従わず、防挺隊宿舎である同村四番地登仙吉方に押しかけて行つた。

(罪となべき事実)

被告人ら八名は、いずれも全自連学生らに対し暴行を加え傷害を負わせた防挺隊員全員の即時逮捕を警察官に要求し、警察官が右逮捕をするのを監視すると主張し、警察官の制止をきかず、防挺隊員の宿舎である前記登仙吉方に押しかけ、昭和三六年三月一八日午前〇時一七分頃から約二〇分間にわたり相次いで、登仙吉方邸宅の門内に立ち入り、もつて故なく人の看守する登仙吉方邸内に侵入したものである。被告人ら以外にも、名数の群集が被告人らと前後していずれも警察官の制止をきかず、右登仙吉方に押しかけて同邸内に故なく侵入し、同日午前〇三五分頃前記第三機動隊第三中隊長根本豊以下同中隊員約四〇名が右登仙吉方邸内に到着した際は、被告人ら八名を含む約一〇〇名の群集が同邸内に侵入したまま、その母屋を取り囲む形の位置に立つて滞留していた。そして、右邸内に侵入した群集のうちには、ヘルメツトを着装した者が被告人斎藤、同竹内その他多数、棍棒を携えた者も被告人西田、同鎌田その他多数まじつており、なかには、なた(昭和三七年押第九七八号の四二)、のこぎり(同押号の四三)を携えたものもあり、また、同邸内の登仙吉方母屋にいた隊長福田進以下防挺隊員七名めがけて投石しもつて同人らに対し暴行したり、右投石や棒による乱打などにより右母屋の窓ガラス多数を破りもつて器物損壊をしたりした一部の者もあり、「野郎ども出てこい」「殺してしまえ」「火をつけろ」などと怒声をあげた一部の者もいた。同夜登仙吉は、右母屋に近接する同邸内隠居所においてその母、妻、子三名とともに就寝中であつたところ右侵入を知つて急ぎ防挺隊員の宿泊していた右母屋内に移つたのであるが、その母屋内にいた右防挺隊員および登仙吉は、右母屋を取り囲み殺気だつている群集から右の如き器物損壊などの財産上の損害ばかりでなく、各自の身体、自由等にもいかなる危害を加えられるかもわからないと考えて畏怖していた。被告人ら八名は、群集の一部の前記の如き言動が行われた際その附近にいてこれを見聞するか、あるいはこれを見聞しなくても右母屋のガラス窓が多数損壊されている跡を目撃するかして、いずれもその母屋内にいる右防挺隊員および登仙吉が前記のとおり畏怖していることを知り、且つ、かかる状況のもとで前記のとおり深夜登仙吉方邸内に侵入後、ヘルメツトを着装しまたは棍棒を携えたものを多くまじえて多数の群集が同邸内に滞留すれば、その母屋内にいる右防挺隊員および登仙吉をさらに前同様畏怖させるものであることを知りながら、右登仙吉方邸内において右のようにその母屋を取り囲む形の位置に立ち総勢約一〇〇名に達するに至つた右群集のなかに、被告人ら八名各自その一員として参加のうえ内邸内の母屋周辺に滞留し、よつて多衆の威力を示して登仙吉方邸内の母屋のなかにいた防挺隊員および登仙吉に対し、その身体、自由、財産等に害を加うべきことをもつて脅迫したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(弁護人の主張に対する判断)

一、公訴棄却の主張

弁護人は、本件起訴状には共謀の時、場所、方法が具体的に明示されておらず、また、その訴因として暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項にいう脅迫と器物損壊と暴行中傷害の結果を招来した暴行と傷害の結果を招来しなかつた暴行との各行為がそれぞれ区別して明確に示されていないので、公訴提起の手続はその規定に反し無効であるから、刑事訴訟法第三三八条第四号により本件公訴は棄却さるべきである。なお、被告人らは傷害の現行犯である右翼防挺隊員の逮捕を警察官に要求するため登方に赴いたもので、たとえ起訴状記載の事実が真実であつても何ら罪となるべき事実に当らないから、同法第三三九条第一項第二号により本件公訴は棄却されなくてはならない。さらに、本件は検察官の公訴権の濫用に基く起訴であるから、本件公訴は棄却さるべきであると主張する。

しかし、本件起訴状の公訴事実における共謀、実行行為の態様等に関する記載に徴すると、その記載内容が公訴提起の手続を規定違反のため無効にするほど粗略であるとは認められない。そして、本件起訴状の記載に公訴事実として罪となるべき事実を包含していないとは認められず、また、本件起訴が検察官において公訴権を濫用して行つたものであるとも認められない。

よつて、弁護人の公訴棄却の主張は採用することができない。

二、無罪の主張

弁護人は、

(一)  日常の場合、訪問者が扉も鍵も閉めていない門をくぐりその家屋の入口まで立ち入ることは住居侵入にならないから、被告人らのなかに不法の目的でなく登方邸宅の門内に立ち入つただけで家屋内に入らなかつた者がいたとしても、それは住居侵入をしたことにならない。

(二)  また、被告人千葉が登方邸宅の門内に立ち入り、さらにその玄関内に入ろうとしたのは、平穏に犯人の所在を尋ねるために、方法も門内に入るときは学生らを門外に停止させ、玄関内に入ろうとしたときは「今晩は」と平穏に挨拶して玄関の戸を開いていたのであつて、住居侵入にはならない。

(三)  被告人らのなかに登方邸内に立ち入つた者があつたとしても、それは現行犯としての防挺隊員の逮捕を警察官に要求し、警察官がその逮捕義務を誠実に履行することを監視するという正当な目的で立ち入つたものであるから、違法性がない。

(四)  住居侵入罪の法益は居住者の住居の平穏であるが、母屋の居住者は傷害犯人である防挺隊員とそれを隠していた犯人蔵匿の現行犯人である他の防挺隊員および登仙吉であり、これらの者に住居侵入罪により保護さるべき法益は存しない。

(五)  被告人らのうちに登方邸内に立ち入つた者がいたとしても、警察官が誠意をもつて犯人逮捕の義務を果そうとしなかつた本件のような場合は、現行犯人逮捕の要求を実現するためにも、またオルグ団を統制して不祥事の発生を回避するためにも、被告人らは登方邸内に立ち入らざるを得なかつたのであつて、被告人らに反対行動に出る期待可能性はなかつた旨主張する。

よつてこの点につき判断するに、

(一)、(二)の主張について

裁判所が昭和三七年四月二四日、二五日に実施した検証の結果を記載した「検証並びに証人尋問調書」と題する調書によれば、登仙吉方邸は、表石門および裏出入口以外の箇所においては容易に外部との出入りができない囲繞地になつており、そのなかに判示母屋およびこれに近接して判示隠居所があることが明らかであり、かかる邸内に立ち入ることは、日常生活の用件を帯びての立ち入り等居住者の許諾が推定される場合の外は、許されないと認められる。そして、同人方邸内への被告人らの立入りについては、前記判示認定のとおりの立入りの態様に徴すると、居住者の許諾が推定される場合とは到底認められず、また立ち入つた者において居住者の許諾が推定される場合があると考えていたとも認められない。

次に被告人千葉が登方邸宅の門内に立ち入り、さらにその母屋玄関内に立ち入ろうとして玄関の戸を開けた点については、前記判示「罪となるべき事実」認定の証拠によれば、たとえ同被告人において弁護人主張のとおり犯人の所在を平穏に探し出すことが容易にできるような状況ではなく、かえつて同被告人の登方邸宅門内への立入りや母屋玄関内への立入りの行動もきつかけの一つとなつて多数の群集がその後を追つて登方邸内に侵入する虞れがあつたのであり、そのことを同被告人においてもこれを予測していたことが推認され、右のような状況のもとにおける同被告人の登方邸内への立入りについては、居住者の許諾が推定された場合であるとは認められず、また、同被告人において右立入りの際居住者の許諾が推定される場合であると考えていたとも認められない。

よつて、弁護人の右(一)、(二)の主張は採用することができない。

(三)、(四)の主張について

被告人らが登方邸内に立ち入つた際、たとえ被告人らにおいて犯人の逮捕につき弁護人主張のとおりの意図、目的をもつていたとしても、登方邸内に立ち入つたまでの事情とその立入りの態様が前記判示認定のとおりであることに徴すると、右目的がその手段である右立入りを正当な事由化し住居侵入の違法性を阻止する場合であるとは認められない。また、第一一回公判廷における証人登仙吉の供述によれば、判示登方邸宅の看守者と認められる登仙吉は、当夜判示立入りまで同邸内の判示隠居所においてその母、妻および子三名とともに就寝中であつたことが認められるばかりでなく、登仙吉が右立入りの際、犯人を蔵匿する考えがあつたとか、防挺隊員の傷害事件を知つていたとかいう証拠は何ら存在しないから、弁護人の所論はすでにこの点において失当であること明らかである。

よつて、弁護人の右(三)、(四)の主張は採用することができない。

(五)の主張について

前記判示認定事実に徴すると、被告人らに対し所論のような期待可能性がなかつたとは認められない。

よつて、弁護人の右(五)の主張は採用することができない。

(法令の適用)

被告人ら八名の判示所為中、住居侵入の点は刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、多衆の威力を示して行つた脅迫の点は昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項(刑法第二二二条第一項)、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号にそれぞれ該当するところ、右住居侵入と暴力行為等処罰に関する法律違反(脅迫)との間には互に手段結果の関係があるから刑法第五四条第一項後段、第一〇条に則り重い暴力行為等処罰に関する法律違反(脅迫)罪の刑に従つて処断すべく、その所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内において被告人斎藤一雄を懲役五月に、被告人千葉紘靖を懲役四月に、被告人藤井マサ子、同鶴見常司、同竹内基浩、同西田理、同渡辺一志および同鎌田輝夫を各懲役三月に処し、被告人ら八名に対し諸般の情状にかんがみ刑の執行を猶予するのを相当と認め、刑法第二五条第一項によりいずれも本裁判確定の日から二年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用し、被告人らをして主文第三項のとおり負担させることとする。

(無罪の判断)

一、公訴事実の要旨

被告らに対しては各別に公訴が提起されているけれども、その要旨は同一であり、右各公訴事実の要旨を綜合すれば、

被告人らは、予ねて新島における防衛庁のミサイル試射場設置に反対して賛成派島民らと抗争してきたものであるが、偶々反対青年団員らが賛成派支援中の防挺隊員と衝突して危害を加えられたうえ、反対派オルグ団の宿舎を襲われたことに激昂し、同隊員宿舎を襲撃してこれに報復しようと企て、反対派オルグ一〇〇名位と共謀し、昭和三六年三月一八日午前零時一七分頃新島本村四番地の賛成派登仙吉方同隊員宿舎に押しかけ、故なく同邸内に侵入し、同宿舎を取り囲んで一部の者において同宿舎玄関内に踏み込み、同隊長福田進らに対に、口々に「殺してしまえ」「火をつけろ」等と怒号しながら棍棒丸太などを振りかざして、宿舎のガラス戸を乱打し、或いはこれに投石するなど多数の威力を示し、共同して脅迫暴行し、右投石等により前記登所有の窓ガラス五四枚、ガラス戸二枚等を損壊すると共に、福田に対し全治三ケ月を要する左下腿不完全骨折、外傷性骨膜炎兼下腿割創等の傷害を負わせたほか、同隊員浅見健太郎ほか一名に治療約六日間を要する左脛骨挫創等の傷害を負わせたものである。そして、被告人らの右所為は、刑法第一三〇条、第二〇四条、第六〇、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項に該当する。

というのである。

二、暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行、器物損壊)および傷害についての責任

ところで、右公訴事実中、被告人らが住居侵入および暴力行為等処罰に関する法律違反(脅迫)の点について罪責を免れないことは判示のとおりであるが、暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行、器物損壊)および傷害の点につき被告人らに罪責を認めるべきか否かにつき以下検討する。

(一)  実行者または現場共謀者としての責任

(1) 医師西山虎男作成の診断書、証人西山虎男および同水野亀雄の各供述(以下、当公判廷における証人としての供述、亀雄の各供述以下、当公判廷における証人としての供述、当公判廷における証人尋問調書中の供述記載、当公判廷外における当裁判所の証人尋問調書中の供述記載をすべて単に証人の供述として表示し、当公判廷における被告人供述、当公判における被告人の供述調書中の記載をすべて単に被告人の供述として表示する。)ならびに証人福田進の供述によれば、登仙吉方に侵入した判示約一〇〇名の群集の一部の者が同邸内母屋のなかにいた判示防挺隊員めがけて投石しもつて暴行したが、右投石中のいずれかが判示福田進の下腿部等に命中し、同人はそのため左下腿部挫滅創等の傷害を受け、のちに外傷性骨膜炎を併発して再度の入院を余儀なくされ、昭和三七年三月半頃まで通院して治癒したことが認められ、証人水野亀雄、同鄭福亭および同大山節夫の各供述によれば、右群集の一部の者が判示防挺隊員めがけて投石しもつて暴行したその投石中のいずれかが判示浅見健太郎こと鄭福亭および大山節夫にも命中しそのため鄭において全治まで約一〇日間を要する左脛骨挫創の、大山において全治まで約一二、三日を要する第一趾爪下出血、右上腕部打撲の各傷害を負つたことが認められる。

(2) さらに、裁判所の「検証並びに証人尋問調書」と題する調書二通および司法警察員鈴木栄、同丸山袈裟夫作成の各写真報告書ならびに証人登仙吉の供述によれば、登仙吉方に判示侵入が行われた際、同人方母屋周辺の窓ガラス四七枚、玄関突当りの茶の間の欄間枚二枚、勝手のガラス戸の桟等が破壊若しくは破損されたこと、右各損害の大部分は登仙吉方邸内に侵入のた群集の者の一部の者の投石またはガラス窓を棍棒などをもつて乱打するなどの行為によつて生じたものであることを認めることができる。

(3) そこで、被告人ら八名が果して前記投石の暴行または右投石中のいずれかによる傷害あるいは投石棍棒などをもつてするガラス窓の乱打等による器物損壊の実行者であるか、あるいは群集の一部の者の行つた右暴行、傷害、器物損壊の実行行為に、その現場において意思を通じ共謀をした者であるかにつき案ずるに、

(イ) 証人渡辺襄、同中村敏道、同寺尾公男、同肥沼清、同村上精一、同木内久男、同海藤文雄の各供述を総合すれば、右暴行、傷害、器物損壊の行為がなされた時間は群集の登仙吉方邸内に侵入した当初から数分の間であつたことが認められる。

(ロ) 一方、被告人らが登邸内に侵入した時間につき検討するに、

① 右(イ)掲記の各証人の供述、証人沖山治三郎、同藤井祐三、同大柴滋夫の各供述および被告人斎藤、同藤井、分離前の相被告人沖山清唯の検察官に対する供述調書を綜合すれば、被告人斎藤、同藤井、同鶴見、同竹内らが登方邸内に侵入した時間は、第三機動隊第一中隊長寺尾公男以下同中隊第一小隊第三分隊長肥沼清、同分隊員村上精一らが登方邸内に駈けつけた頃ないしそれ以後のことであつて、すでに前記(一)の(1)、(2)の暴行、傷害、器物損壊の犯行が終了した後であると認めるのが相当であるから、右被告人らが同犯行の実行者またはその現場における共謀者であると認める余地はない。

② そして、被告人西田、同渡辺、鎌田について、同被告人らが右(一)の(1)、(2)の暴行、傷害、器物損壊の犯行の継続中登方邸内に侵入したと認めるに足る証拠は全く存しないので、右被告人らについても同犯行の実行者またはその現場における共謀者であると認める余地はない。

③ つぎに、被告人千葉についてみるに、同被告人の当公判廷における「私は群集の最先端になつて登方邸内に立ち入つた」旨の供述に徴すると、同被告人は右(一)の(1)、(2)暴行、傷害、器物損壊の犯行が行われた際登方邸内に滞留していたものと認められる。しかも、証人秋元享は、「登方母屋内で防挺隊長福田進と話をしていたところ、庭先でザクザクという音が聞えた。機動隊員が駈けつけたのではないかと思つて玄関へ出て、そこの戸をあけて一歩外へ踏み出すと、群集の先頭にいた被告人千葉は襲いかかるようにして殺してしまえと呼んだ。その時被告人千葉はジヤンパーを着て髪の毛はちれていた。手には一米位の棒を持つていた。それから投石等がはじまり、ガラスが破られたりしたので、警戒本部へ状況を報告しようとして茶の間の高窓から外へ飛び出たが、その時は被告人千葉を含む三、四名が棒をもつて玄関内に人り、木刀をもつた福田ら防挺隊員と話合いをはじめていた、玄関内に女の人がいたのは全く気づかなかつた、被告人千葉はその一週間位前から署へ抗議に来たりしたので知つていた」旨供述し、証人福田進は、「庭の方で大きな声がするので玄関へ出ると四、五人が玄関内へ踏み込んできた。被告人千葉と沖山清唯がその中にいた。二人はジヤンパーのようなものを着ており、何も被つていなかつた。その四、五人のうちには丸太棒、まさかり、鉈を持つていた者があつた。そして玄関に入つた者が七、八人の人数になつたとき、木刀をとつて打ち合つた。被告人千葉はその前、人に島内で活動するオルグの写真だといつてみせられたうちに同被告人の写真があつて知つていた」旨供述し、証人登仙吉は、「隠居所から母屋へかけつけ玄関と台所との敷居のところでふり返ると、被告人千葉は、無帽で、手にした木刀で一、二回玄関入口のガラスがすでに壊されて仕舞つたガラス戸の桟を叩き後へ退いた。ついで沖山清唯が木刀をもつて同じように一回ガラス戸の桟を叩いた」旨供述し、証人前田松子は「登仙吉方母屋の玄関に私と前田春子と安達福代がいたとき、被告人千葉がその玄関の戸からのぞき、ガラス戸を開けて一歩またぎ、その中にいる人達に『その棍棒はなんだ』といつて引き下り、庭の真中辺まで行つた頃『オーイオーイ』と大きい声をし、大勢の足音で、やつて来たとたんガラス戸をバリンバリンこわされはじめた。それで私は勝手の方へ逃げた」旨供述し、証人横山(旧姓安達)福代は「私が登仙吉方母屋玄関にいたとき、『今晩は』という声がきこえたと同時に玄関があけられ、オルグの千葉がその木刀は何だというようなことをどなり、そからすぐ後ろをふりかえり『いたぞ』というようなことをいつた。そのとき庭に沢山入つてくるような音がした。それからガラスの割れる音がしたので私は風呂場へ逃げた」旨供述し、以上の各証拠によれば、被告人千葉が右(一)の(1)、(2)の暴行、傷害、器物損壊の犯行につき、その実行者ないし現場における共謀者であると認めるべきであるようにみえる。しかし、被告人千葉は当公判廷において「私は登方邸内に立ち入つてから玄関の戸をあけ、今晩はといつて顔を出したと同時に右翼が持つていた木刀をふりかざしたのをみて、その棒は何だといい、身の危険を感じ何歩かうしろに下つた」旨供述して登方玄関内に立ち入つたことを否定する外、暴行、器物損壊等を行つた事実をも一切否定するばかりでなく、同被告人が棒や木刀の類を持つていたことをも否定し、かえつて群集が投石したり、所携の棒切れ等でガラス戸等を乱打したりするのを制止した旨弁明供述する。そして、証人山田健一、同松井一夫、同尾上道雄、同田畑耕治の各供述は被告人千葉の右供述に副うものであり、とくに、証人松井一夫は「もう一人の学生と玄関へ入ると、上框にいた右翼二人が木刀をもつてかかつてきたので、持つていた薪で防いで外へ退いた」旨供述している。そこで前記証人秋元享、同福田進、同登仙吉、同前田松子、同横山福代の各供述を検討するに、前述①に挙示する各証拠によれば、沖山清唯が登方邸内に立ち入つたのは被告人斎藤らが登方邸内に侵入したとの同時刻頃であることが窺われるのであつて、この点右証人福田進、同登仙吉でそれぞれ右のように早期に沖山清唯を見たと供述するのは重大な誤りであると認められ、また、証人前田松子同横山福代の前記各供述によればその際登方母屋玄関内には女性三名がいたことが認められるのに、証人秋元享が玄関内に右女性三名のいたことに全く気づかなかつたという点はいかにしても理解し難いところであり、以上の諸事情に照らし考えると、右証人秋元享、同福田進および同登仙吉の各供述は瞬時の認識にもとづくものであるため認識の前後を間違えて記憶したりなどして、被告人千葉と他の人物とを誤認したのではないかとの疑いを拭い難く、これをもつて被告人千葉が右登方邸内においてみずから暴行、傷害、器物損壊の実行をしたり、または右の実行者である群集の一部の者と現場において意思相通じて共謀をしたりしたという事実を判断することは躊躇され、また前記前田松子および同横山福代の各供述によつても右の事実を認定するに十分でなく、その他右の事実を認定するに足る証拠はない。

(ハ) 結局、被告人ら八名のいずれについても、暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行、器物損壊)または傷害につきその実行者あるいは登仙吉方邸内の現場におけるその共謀者であるということを認めるに足る証拠は存在しない。

(二)  事前共謀者としての責任

よつて、さらに遡つて被告人らが登仙吉方邸内に侵入する以前に、暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行、器物損壊)または傷害につきその実行者との間にいわゆる事前共謀を行つたかにつき検討することとする。

(1) 証人渡辺襄、同山中崇通、同橋本昭一、肥沼清、同村上精一、同中村敏道の各供述を綜合すれば、全自連本部横田源左エ門方前路上ついで前田吉三郎方前路上に集合した群集の中には、ヘルメツトを着装したり、棍棒を携えたりしていた者が多く、また、興奮して「暴力には暴力だ」「仕返しにいこう」「殴り込みにいこう」というような声をあげた者もいたこと、右群集は横田源左エ門方から前田吉三郎方へ、ついで同家に防挺隊員が見当らないことを知るや登仙吉に向つて大挙して移動したこと、そして右群集中には右翼の暴力に憤激し、報復のためあえて暴力も辞せないという考えをもつて防挺隊員宿舎に押しかけた者も若干いたことを認めることができるが、登仙吉方に赴いた群集の全部がことごとく右のように報復のため暴力もあえて辞せないと考えていたと認めるに足る証拠はない。

(2) ところで、被告人ら八名についてはどうかというに、前記判示事実認定の各証拠および証人田畑耕治、同山田健一、同松井一夫、同尾上道雄の各供述によれば、被告人らはかねて同島内における右翼の暴力およびこれに対する警察官の態度に対し快く思つていなかつたところ、同夜における右翼の全自連学生らに対する暴力を知るにおよびいずれも憤激して右翼の暴力犯人の即時逮捕を警察官に要求し、こんどこそは被告人らみずから右翼の右暴力犯人の所在をつきとめ、右多数の群集によりこれを包囲しその逃亡を防いでおいて、被告人らの目で警察官をして右犯人を逮捕させたいと意図し、右翼の宿舎に押しかけて行つたものであること、その際右翼からさらに攻撃を受ける虞れもあることを慮り、それに備え被告人らの中にもヘルメツトを着装したり、棍棒を携えたりしたいた者もいたこと、被告人らとともに右翼宿舎へ押しかけて行つた群集中に報復のため右翼に対する暴力をもあえて辞せないと考えている者が若干いることには被告人らも気付いていたことを認めることができる、しかし、被告人ら八名中に、右翼に対し報復のためみずから進んで暴力に出る意図をもつて右翼の宿舎に押しかけて行つた者がいたと認めるに足る証拠はなく、また、被告人ら八名のうちに報復のための暴力を意図している右一部の群集と意思を通じ同人らをして暴力を行わせることを意図しながら右翼宿舎に押しかけて行つた者がいたと認めるに足る証拠もない。

(3) その他被告人ら八名のいずれについても、登仙吉方邸内に侵入する以前に、暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行、器物損壊)または傷害につき、その実行者との間にいわゆる事前共謀を行つたと認めるに足る証拠は存在しない。

三、以上の次第であるから、本件公訴事実中の暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行および器物損壊)ならびに傷害の点については、被告人ら八名はいずれもその罪責ありとするに十分な証拠がないのであるが、右暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行および器物損壊)の点については被告人らの判示認定の同法違反(脅迫)罪と包括一罪の関係にあると同時に、右暴力行為等処罰に関する法律違反(暴行および器物損壊)の点ならびに右傷害の点についてはそれぞれ判示認定の住居侵入罪と刑法第五四条第一項後段の手段結果の関係にあるとして起訴されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。よつて主文のとおり判決する。(裁判長裁判官飯田一郎 裁判官浅野豊秀 丸山喜左エ門)

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